先週の木曜日(3月7日)、東京交響楽団の練習会場で行われた東京混声合唱団チャリティーコンサートにカミサンと二人で行って参りました。
場所は大久保駅近くの中央線ガード下の怪しげなエリア。こんなところに芸術の殿堂、東京交響楽団の本拠地が有るの???との不安を抱きつつ進むと、有りました。結構くたびれ気味の建物が。
入口を入ってすぐのところに、ささらさんの姿が。「今日はCDの売り子でーす」ってーことなので、こりゃー買わない訳には行かない。2011年のかつしかシンフォニーヒルズでの林先生の弾き振りのライブと、昨年11月17日に第一生命ホールで行われた山田和樹さん指揮による武満徹全合唱作品演奏会ライブを購入。
さて本日の演奏会場は冒頭記載の通り、東京交響楽団の練習会場と言う事ですが、意外に狭い感じ。フル・オーケストラが入ったらかなり窮屈なのでは無いでしょうか。そこに観客が僅か85名。待つこと暫し、おなじみの東京混声合唱団メンバーの方々が入場されます。何か、もったいないと言うか、贅沢な感じです。
演奏曲目は以下の通り。
ヘンデル「メサイア」より「ハレルヤ」
ヴェルディ「ナブッコ」より「行け思いよ、黄金の翼に乗って」
モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
黒人霊歌「ジェリコの戦い」
コープランド「町からネコを連れてきた」
武満徹編曲「さくら」
武満徹「小さな空」
團伊玖磨「花の街」
村井邦彦「翼をください」
三善晃編曲「夕焼小焼」
曲の合間に、アルトの小野寺さんがMCを担当されてましたが、押しつけがましく無く、でもとても楽しいお話でした。
「花の街」の説明だけは指揮の松井慶太さん自身からありました。その直前の小野寺さんの説明で、東混初振りの頃の松井さんは口数が少なく話し下手だったとの事でしたが、この「花の街」は松井さんの高校時代(中学だったかも?)の実体験を自身で話されました。曰く、「先生から『この曲は実は悲しい歌なんだよ』との説明を受け、心にグサグサ突き刺さりました。」と言った内容で、なかなか巧く説明された後、演奏に入りました。
この「花の街」が悲しい歌だと言うのは私も知っていていましたが、ネットで調べたら、作詞者の江間章子自身のコメントを発見しました。
“詩<花の街>は、私には幻想の街、夢のまちであった。戦争が終って、平和が訪れたという地上は瓦礫の山、いちめんの焼土に立って、思う存分肺いっぱい吸い込んだ<平和>という名の空気が私に見させてくれた夢が<花の街>であった。”
“<花の街>の詩のなかで、「泣いていたよ/街の窓で・・・・」という一行も、焼土に佇つ、戦いに敗れた国の庶民の、住む家も、仕事も失った、途方にくれた悲しみの姿を映しているのだ”
松井さんはこのあたりの背景を良く噛みしめながら音楽の解釈を行われたようです。東日本大震災にもつながっている訳です。
以前、やはり東混の演奏会だったと思いますが、童謡の「シャボン玉」の本当の意味は、作詞者、野口雨情の幼くして亡くなった子供を追慕することにあると言う説明を聞き、なるほど、そう言う事かと納得しました。そう思うと作曲者、中山晋平の素朴なヨナ抜き音階のメロディー(一ヵ所だけ移動ドのファ=4音が出てきますが)も深みを増すように感じられます。
音楽の解釈って重要ですね。広く、深く情報を収集して、そして考えて創造する…でも、これってとっても楽しい活動ですよね。
その他の曲ですが、「ジェリコの戦い」とか「町からネコ」のようなアップテンポで技巧的な楽曲は東混の合奏能力の高さが光ります。
ヘンデルのHallelujah!は、はーみごと!と感動。ヴェルディは…、カミングアウトしますけど、私、ヴェルディ大っ嫌いなのでコメントしません。レクィエムと聖歌四編は好きですけど。
モーツァルトの静謐な緊張感は極上、武満徹作品も勿論すばらしい!「翼をください」はオリジナルも編曲もとても素敵。「夕焼小焼」は…三善先生の編曲が凄くてビックラでした。
因みに普段、辛口コメントばかり言う我がカミサンも大いに感動しておりました。
演奏会終了後、練習会場からエントランスに進むと、東混メンバーの方々、松井さん、伴奏の渡邊さんが見送って下さってます。
松井さんに「たいへん素晴らしかったです!」とか酒落臭いコメントを申し上げて、ウン千円ばかり献上。
このあと新大久保のコリアンタウンに向かった次第です。
川島